「好き」のエネルギーの限界●「好き」のエネルギーだけでは限界がやってくる「仕事を好きになれ」と誰もが言う。 成功論でも能力開発法でも、必ずと言っていいほど最初にこれが出てくる。 私も、新人研修の席などではさんざん口にしてきた。 仕事を好きな人間と、嫌いな人間とでは、取り組む姿勢に違いが出てくる。 好きでなければ、ちょっとした障害があると、すぐにイヤになり、プラス思考で問題に取り組めなくなる。したがって、いい結果が出にくい。 しかし、「好き」だけで大きく成功することは絶対にない。 アスリートで言えば、学生スポーツのレベルまでなら、「好きだ」「得意だ」という思いが引き出すエネルギーで、かなりのところまで行けるだろう。 だが、それ以上となると「好き」「得意」だけでは、大した成功は成し遂げられない。 なぜならプロは、野球が好きでたまらない。サッカーが好きで好きでたまらない人間の集まっている中で、頭角をあらわさなければならないからだ。 ・サッカーで成功する人間は、間違いなくサッカーが好きである ・勉強で成功する人間は、間違いなく勉強が好きである ・将棋で成功する人間は、間違いなく将棋が好きである ・金儲けで成功する人間は、間違いなく金儲けが好きである 何かを好きな人間はそのことに本気になるから、「ぼちぼち」の成功は達成できる。 しかし好きな人間、得意な人間が集まった中で抜きん出るには、「好き」「得意」以外のエネルギーが必要になってくる。 仕事を好きになるのは簡単である。 たとえ嫌いであっても、上手になろうと一生懸命に取り組めばいい。 皿洗いのような単純労働でも、いかに短い時間できれいに洗えるかを工夫すれば、好き嫌いに関係なく上達し、皿洗いが上手になる。 どんな仕事でも上手になり、得意になれば、必ず好きになれるのだ。 しかし世の中には、プロスポーツの選手をはじめ、最初から好きなことを仕事にできた幸運な人たちがいる。 その人たちに、「好きなことを仕事にできていいですね」とか「趣味で稼げるなんて羨ましい」と言ったら、間違いなく怒られる。 なぜなら彼らほど、隙だけでは一流になれないことをよく知っている者はいない。 一度は嫌いにならなければ、嫌いになるほど努力しなければ、頭角をあらわせない世界なのだ。 だから好きな仕事には、就くべきではない。好きな仕事に就くよりも、好きでない仕事に就いて、一生懸命に取り組んで好きになるほうがはるかにラクなのである。 スポーツの世界はシンプルなので、またアスリートの例になるが、一流の選手はみんな、好きというだけではとても耐えられないような厳しい練習を積んでいる。 女子バスケットボールで10連覇の偉業を達成した、「シャンソン」チームのメンタルトレーニングを引き受けてきたから、それを身近で見続けてきた。 きれいに着飾っていたい年頃の女の子が、文字通り汗と血にまみれながら、1年中ボールを追い続ける。 肉体的にも精神的にもハードな毎日を、彼女たちに耐えさせるのは、決して「好き」のエネルギーではない。 というのも「好き」は現状肯定的であり、どこかに自己満足の感情を含んでいる。 「好きだからもっと上手になりたい」これではいつまでもアマチュアであり、いつまでも上手な皿洗いである。 プロになるには、また皿洗いから身をおこして居酒屋チェーンの経営者になるには、飛躍がなければならない。 現状を否定するエネルギーが必要になるのだ。 それを可能にするのが、さらに上を目指す強欲さである。 とてつもなくハードな練習に耐えられるアスリートは、「日本一」「世界一」という常識人には誇大妄想としか言いようのない、非常識な野望を持ち、それを実現したいという強烈な欲を持っている。 1億稼いだら次は10億。 10億稼いだら今度は100億。 この飛躍をリアリティのあるものにするのは、IRAからこんこんと湧き上がってくる強欲さである。 強欲な野望によってしか到達できない世界があるのだ。 西田文朗 「ツキを超える成功力」(現代書林)より ジャンル別一覧
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